Category Archives: 偉人伝・名言

ミレニアム懸賞問題とグリゴリー・ペレルマン

 

 Clay Mathematics Institute

2000年の今日(5/24)、アメリカのクレイ数学研究所によって7つの数学上の未解決問題に、100万ドルの懸賞金がかけられました。これらの問題をミレニアム懸賞問題といいます。

(1)P≠NP予想

(2)ホッジ予想
(3)ポアンカレ予想 ※解決済
(4)リーマン予想

(5)ヤン-ミルズ方程式と質量ギャップ問題

(6)ナビエ-ストークス方程式の解の存在と滑らかさ 
(7)バーチ・スウィンナートン=ダイアー予想(BSD予想)

どの問題も、大学の数学科に進んで専門的に学ばない限り、問題文の意味すら理解することが困難であるような超難問ばかりです(当たり前ですが…)。私には1つ1つの問題を分かりやすく解説することは大変難しいので(いつかやってみたいです!)、今日は「ポアンカレ予想」を解決したグリゴリー・ペレルマンという数学者について書いてみたいと思います。

グリゴリー・ペレルマン

ペレルマンはロシアに生まれた数学者。ペレルマンが2003年に発表したポアンカレ予想の証明を記した論文は、複数の数学者チームによって検証され2006年にその正しさが認められました。

ほとんどの数学者がトポロジーを使ってポアンカレ予想を解こうとしたのに対し、ペレルマンは微分幾何学と物理学の手法を使って解いてみせました。そのため、解の説明を求められてアメリカの壇上に立ったペレルマンの解説を聞いた数学者たちは、
「まず、ポアンカレ予想を解かれたことに落胆し、
 それがトポロジーではなく微分幾何学を使って解かれたことに落胆し、
 そして、その解の解説がまったく理解できないことに落胆した」

と語ったそうです。

トポロジー、微分幾何学…難しい用語が出てきちゃいましたが、それはひとまず横に置いておいて、とにかくペレルマンは誰も思いつかなかったような非常に独創的な手法でこの世紀の難問を解決したのでした(大雑把ですいません…)。

ペレルマンは16歳の時に数学オリンピックにて全問満点による金メダルを獲得するなど、正真正銘の数学の天才ですが、他の天才の例に漏れず彼も少々「変わり者」として知られています。

ペレルマンはポアンカレ予想解決の貢献により2006年に「数学界のノーベル賞」と言われているフィールズ賞を受賞しました。しかし、
「自分の証明が正しければ賞は必要ない」
として受賞を辞退しています(フィールズ賞の辞退は彼が初めて)。
また2010年に、クレイ数学研究所はペレルマンがポアンカレ予想を解決したと認定して、ミレニアム賞(副賞として100万ドル)授賞を発表しましたが、やはり彼は授賞式に姿を見せませんでした。

ペレルマンは以前にも昇進や欧州の若手数学者に贈られる賞を辞退するなどした経緯があり、賞金に全く興味を示さなかったり、自分の論文をあまり公表したがらない性格のようです。

現在は故郷で母親と共にわずかな貯金と母親の年金で細々と生活しているらしく消息は不明ですが、ひそかにケーラー・アインシュタイン計量 (Einstein-Kähler metric) の存在問題に取り組んでおり、数学者としての研究はいまだ放棄していないと言われています。趣味はキノコ狩り。

100万ドルは高い?安い?

…と確かにペレルマンは「変わり者」のようですが、私はペレルマンが賞金の受け取りを拒否した話を聞いたとき、どこか腑に落ちる感覚がありました。(あ、もちろん「勿体な~い」とも思いましたが…)

そもそも、100万ドルという賞金は高いのでしょうか、安いのでしょうか?

例えばポアンカレ予想は100年の歳月を経て解決された超難問です。100年の1人の不世出の天才の偉業をお金に換算するのだとしたら、100万ドルは安すぎると思います。

とは言え、これらの問題に取り組み、ある意味生涯を捧げようとする数学者たちは誰一人として

「100万ドルの賞金を取るぞお」

というモチベーションでは、挑んでいないと思います。彼らを衝き動かしているのは
「真理に近づきたい!」
という人間として根源的な欲求であり、それはまさに”プライスレス“なはずです。

科学者と芸術家の共通点


私は常々、科学者と芸術家はよく似ているなあと思っています。(cf.”数学と音楽2“)どちらもこの世界が美しいことを信じています。そして、その美しさは人間が愚かであるが故にまだ完璧には理解されていないと考え、それに近づこうとします。アプローチの方法は異なりますが、自然に存する真理の美しさは人生を捧げるのに相応しいと信じて疑わないからこそ、科学者であり、芸術家であるのだと私は思います。その熱い想いの前で

斎藤秀雄先生

 

今日は斎藤秀雄先生の110回目の誕生日\(^o^)/

斎藤秀雄先生はチェリスト、指揮者、音楽教育者として日本の音楽界の屋台骨を築かれた方です。1927年にNHK交響楽団の前身である新交響楽団に首席チェロ奏者として入団。翌1928年の第30回定期では指揮者としてデビューしましたが、やはり斎藤「先生」は教育者としての功績が輝いています。1948年に井口基成、吉田秀和らと「子供のための音楽教室」を開設。これが後の桐朋学園の一連の音楽系学科開設につながっていきました。弟子には小澤征爾をはじめ、山本直純、岩城宏之、若杉弘、井上道義、秋山和慶、飯守泰次郎、今井信子、堤剛など錚々たるメンバーがその名を連ねています。

斎藤指揮法

指揮法教程/斎藤 秀雄

斎藤秀雄先生が考案された「斎藤指揮法」は今では「Saito-method」として世界中の音楽学校で教えられており、指揮者を目指す者にとっては必須だとも言われています。なぜ斎藤指揮法はここまで世界のスタンダードになり得たのでしょうか?実はその指揮法そのものに奇抜なところや独特なところはほとんどありません。斎藤指揮法が画期的なところは、それまでの指揮者がほとんど無意識のうちに行なっていた腕の運動に「叩き」「跳ね上げ」「平均運動」といった名前をつけて、それを指揮者に意識させたことです。これにより指揮者は自分がどのような腕の動きで、何を伝えたいのかを明確にイメージするようになり、結果として奏者も指揮者の意図が理解しやすくなりました。こうして斎藤指揮法は「分かりやすい指揮法」として世界的な地位を確立したのでした。

私も、斎藤先生の直接の弟子である高階正光先生のもとで斎藤指揮法を学ばせていただきました(そういう意味では私は斎藤先生の孫弟子です)。正直、最初は随分と堅苦しく感じたのですが、動きを明確に意識することの意味が分かってからは、この指揮法が基礎としていかに優れているかを痛感しました。そして、斎藤先生ご自身もおっしゃっているように「型から入り型から出る」ことがその極意なのだと思います。
完本 指揮法入門/高階 正光

教育者として

月謝は最低限、レッスン代を免除することもある、できの悪い生徒に対してこそ絶対に手抜きをしない…。教育者・斎藤秀雄氏は多くの弟子を導いたまさに本物の「師」でした。教師としての逸話には事欠かない方ですが、こんなエピソードも残っています。

斎藤氏は毎年、学生オーケストラを引き連れて、志賀高原で夏の合宿を行なっていました。最晩年、癌に冒され死の淵にあっても車椅子で参加して、学生を指揮したそうです。

「ごめんね。これしか手が動かない。」

と言う師のわずかな手の動きから全てを汲み取ろうと演奏する学生たち。その時、最後に演奏した曲はモーツァルトの“ディヴェルティメントニ長調K.136”という曲で、それは斎藤と学生の心が一体になった類い稀なモーツァルトでした。ちなみに”ディヴェルティメント”とは日本語に訳すと「嬉遊曲」という意味ですが、演奏終了後、その場にいた湯治客の1人が

「今夜は本当に素晴らしかった。
 ところで、”ディヴェルティメント”というのは『お別れの曲』という意味ですか?」

と尋ねてきました。この一言で、それまで抑えてきた学生たちの感情は崩れ、嗚咽の声が漏れました…(詳しくは↓)
嬉遊曲、鳴りやまず―斎藤秀雄の生涯/中丸 美繪

斎藤秀雄先生の名言


・型には入れ、そして型から出よ


・日本には西洋音楽の伝統はない。

 しかし、悪い伝統もないから、

 西洋のよいところだけを学べばよい


・演奏家になった以上は表現することが一番大事。

 じゃあどうしたら「表現」できるようになるか。

 そのためには緻密に、とにかく緻密に作ること。

 アバウトでは駄目。緻密すぎるほど緻密に作って初めて

 「表現」までいくことができる。


・よく指がまわるというのは、

 音楽をつくるうえで必要なだけで、

 それが聞こえるようじゃだめだ。


・レッスンの度ごとに、必ず生徒の新しいことをみつけだしてやるような先生、

 それができないようなら教師なんかやめた方がいい


・自分のためじゃなくて、何でも他人のためになることを、

 収入のことを考えないでまじめにやれる人、

 一番偉いと思うんです

教師の評価はどれだけ優れた弟子(生徒)を育てたかで決まると思います。そして斎藤先生ほど、音楽教師として多くの逸材を世に送り出した先生は他にいないでしょう。

教育者として確固たる信念を持つこと、生徒に熱い愛情を持ち続けること、生徒を信じ抜き諦めないこと…同じ教師の端くれとして、斎藤先生に学ぶところは計り知れません。

今日の動画

小澤征爾/ベルリンフィル「ロシアンナイト」から
ストラヴィンスキーの火の鳥(抜粋)

驚くほど分かりやすい指揮です。決して簡単な曲ではありませんがオーケストラが安心して音を出しているのが良く分かります。ちなみにこの曲のフィナーレでは「王貞治、長嶋茂雄」と聞こえる変拍子が繰り返されます。探してみて下さい(^_-)-☆
 

小澤征爾/サイトウ・キネン・オーケストラ
モーツァルト””ディベルティメントK.136″より2楽章

 

バートランド・ラッセル

 

今日は、バートランド・ラッセル(哲学者、数学者)の140回目の誕生日!

バートランド・ラッセルは、イギリスの論理学者、哲学者、数学者。


「アリストテレス以来の最高の論理学者の1人」
と称されている人物であり、特に素朴集合論においての矛盾を導くパラドックス”ラッセルのパラドックス“は有名です。

また、教育思想、社会思想などの分野でも活躍し、第一次大戦中には徹底的な非戦論を主張したために、ケンブリッジの教授職を追われ、投獄(6ヶ月)されています。この時、面会に来た友人に「なんでまた、君はそんなところにいるんだね?」と尋ねられたラッセルは「君こそ、なんでそんなところにいるんだい?」と返したそうです。

1950年には「人道的理想や思想の自由を尊重する多様で顕著な著作群」が評価されてノーベル文学賞を受賞。

1955年には核廃絶に対する共通の想いから親交のあったアインシュタインと「ラッセル=アインシュタイン宣言」(日本語訳はこちら⇒日本パグウォッシュ会議サイト)を発表。この宣言は、ラッセルが起草し、アインシュタインが署名を行ったものですが、アインシュタインがその署名を行ったのは、彼の死の1週間前のことでした。

万能人ダ・ヴィンチを彷彿とさせるほど、多方面でその才能を発揮したラッセル。そんな知の偉人が遺してくれた言葉にはやはり含蓄のあるものが多いです。  

バートランド・ラッセルの名言

・愛を受け取る人間は、愛を与える者である。


・私は、どんなに前途が多難であろうとも、

 人類史のもっともよき部分が未来にあって、

 過去にないことを確信している。


・幸福の秘訣は、こういうことだ。

 あなたの興味をできるかぎり幅広くせよ。

 そして、あなたの興味を惹く人や物に対する反応を

 敵意あるものではなく、

 できるかぎり友好的なものにせよ。


・他人と比較してものを考える習慣は、致命的な習慣である。


・実際、人類の大半が愚かであるということを考えれば、

 広く受け入れられている意見は、

 馬鹿げている可能性のほうが高い。


・本当に理性的な人間は、

 絶対に自分が正しいなどとはめったに思うことはない。

 理性的な人間になろうと思ったら、

 自分の思想に対しても常に疑いを持っていなくてはならない。

個人的には、幸福になるための秘訣が、たくさんのことに興味を持ちその対象を好意的に捉えることだ、という考え方が好きです。また、ラッセルが警鐘を鳴らしている「絶対に自分が正しいと思う」ことは以前にこのブログの「怒りを鎮めるABC理論」の中でご紹介した、「不健康な否定的感情」を引き起こす「IB(非論理的な考え方)」の最大の特徴でもあります。

主な著書


哲学入門 (ちくま学芸文庫)
ラッセル幸福論 (岩波文庫)
ラッセル結婚論 (岩波文庫)
ラッセル教育論 (岩波文庫)



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フローレンス・ナイチンゲール

 

今日はナイチンゲールの192回目の誕生日\(^o^)/

イギリスの裕福な家庭に生まれ、貴婦人としての教育を受けたナイチンゲールは、20代の頃から看護師を志し、祖国とロシアの間でクリミア戦争が勃発すると、戦場における初めての女性看護団を率いて現地スクタリ野戦病院の臨床現場に立ちました。ナイチンゲールがその働きぶりから「クリミアの天使」と呼ばれ、看護師を「白衣の天使」と呼ぶ由来になっているのはご存知の通り。

しかし、ナイチンゲールが近代統計学の発展に貢献した統計学者だったことは意外と知られていません。スクタリ野戦病院の「異常な死亡率の要因」が兵舎病院の過密さと不衛生な状況にあったことを軍の官僚や議会に納得させるために、数々の統計資料を作成し、各種委員会に提出しています。

ナイチンゲールは視覚的な資料を作ることでも、才能を発揮しました。戦争で負傷して亡くなる兵士は全体の1~2割、あとは栄養失調や感染症など予防可能な病気で死んでしまっているという分析から、陸軍兵士の異常な死亡率の原因を明らかにした「鶏のとさか」と呼ばれるダイアグラムは特に有名です。この円(扇形)グラフは、半径の差が扇形の面積に反映する(面積は半径の2乗に比例する)ので差異が際立って見えるようになっていて、効果的に作られています。

参考サイト:Nightingale’s ‘Coxcombs’(Flashを使ってアニメーション化しています)

これによるとクリミア戦争で死亡した兵士たちは、負傷によるものやその他の原因によるもの(ダイアグラムの赤と黒の部分)より、むしろ院内環境の改善で防ぐことのできる疾病(青の部分)によって死亡していることが分かります。さらに、死亡率は戦争の最初の年(ダイアグラムの右半分)が高く、その時期は1855年3月に政府の派遣する衛生委員が野営地と病院に衛生状態を改善するためにやってくる以前であることも示しています。

ナイチンゲールは統計学の制度化にも努力しました。統計が活用されないのは、人々が活用の仕方を知らないからであると考えた彼女は、何よりも重要なのは教育であるとして、大学教育において統計の専門家を育てることに尽力しました。

ナイチンゲールは赤十字社活動には関わっておらず、むしろボランティアによる救護団体の常時組織の設立には反対していました。これはマザー・テレサと同様「構成員の自己犠牲のみに頼る援助活動は決して長続きしない」と考えていたためでした。

ナイチンゲールの超人的な仕事ぶりと必要であれば相手が誰であろうと直言を厭わない果敢な姿勢により、交渉相手となる陸軍・政府関係者は彼女に敬意を示し、また恐れてもいたそうです。「クリミアの天使」、「ランプの貴婦人」(夜回りを欠かさなかったから)などと呼ばれるナイチンゲールですが、実際の彼女は看護にロマンチックな精神主義をまじえるような観念論者ではなく、その主張は徹底した経験主義に基づいていました。そんなナイチンゲールの生き様は、彼女が遺した言葉からも伺うことができます。

ナイチンゲールの名言

・天使とは、美しい花をまき散らす者ではなく、
 苦悩する者のために戦う者のことだ。
・病人を救うのは、宗教者の愛よりも衛生環境である。
・看護はひとつの芸術である。それを芸術たらしめるには、
 画家や彫刻家の仕事と同じように、
 他を顧みない専心と厳しい準備とが必要である。
・命を奪われた男たちの前に立って思う。
 生きている限り、彼らを死に追いやった相手と戦い続けると。
・進歩し続けない限りは、 後退していることになるのです。
・そこに明確な行動が伴っていなければ、
 思いを十分に伝えることは難しいと思う。
・経験をもたらすのは観察だけなのである。



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オードリー・ヘップバーン

 

$永野数学塾塾長日記
今日はオードリー・ヘップバーンの83回目の誕生日\(^o^)/
言わずと知れた大女優。
代表作に「ローマの休日」「尼僧物語」「ティファニーで朝食を」「マイ・フェア・レディ」「おしゃれ泥棒」「暗くなるまで待って」など。1989年「オールウェイズ」の後に引退。
その後国際連合児童基金(ユニセフ)のユニセフ親善大使に就任し、当時内戦が続いていたソマリアやスーダンを訪問。就任の際に、オードリーは「わたしは、ユニセフが子どもにとってどんな存在なのか、はっきり証言できます。なぜって、私自身が第二次世界大戦の直後に、食べ物や医療の援助を受けた子どもの一人だったのですから」と語っています。
アカデミー賞、トニー賞、エミー賞、グラミー賞を全て獲得した9名の中の一人。2010年、アメリカの通信販売大手QVCによる「20世紀最高の美女」を決めるアンケート調査において第1位。
語学が堪能で英語、フランス語、オランダ語、スペイン語、イタリア語を自在に操ったそうです。

ヘップバーンの名言

・愛は行動なのよ。言葉だけではだめなの。
 言葉だけですんだことなど一度だってなかったわ。
 私たちには生まれたときから愛する力が備わっている。
 それでも筋肉と同じで、
 その力は鍛えなければ衰えていってしまうの…。
・成功は誕生日みたいなもの。
 待ちに待った誕生日がきても、
 自分はなにも変わらないでしょ。
・いばる男の人って、要するにまだ一流でないってことなのよ。
・たしかに私の顔にしわも増えました。
 ただ、それは私が多くの愛を知ったということなのです。
 だから、私は今の私の顔のほうが好きです。
・美しい唇である為には、美しい言葉を使いなさい。
 美しい瞳である為には、他人の美点を探しなさい。

本当に、「美しい人」です。
なお、最後の言葉はオードリーの自身の言葉ではなく、アメリカの詩人サム・レヴェンソンが孫娘の誕生に贈った手紙であり、彼の詩集『時の試練を経た人生の知恵』に収録されていたものです。
オードリーはこの詩をとても好み、彼女が亡くなる前の年の最後のクリスマス・イヴに、2人の息子に読み聞かせたそうです。
マチエールさん(?)のブログより全文の和訳と原文を引用させていただきます。

時を越えた美しさの秘密
魅力的な唇であるためには、美しい言葉を使いなさい。
愛らしい瞳であるためには、他人の美点を探しなさい。
スリムな体であるためには、飢えた人々と食べ物を分かち合いなさい。
豊かな髪であるためには、一日に一度子供の指で梳いてもらいなさい。
美しい身のこなしのためには、決してひとりで歩むことがないと知ることです。
物は壊れれば復元できませんが、人は転べば立ち上がり、
失敗すればやり直し、挫折すれば再起し、間違えれば矯正し、
何度でも再出発することができます。
誰も決して見捨ててはいけません。
人生に迷い、助けて欲しいとき、いつもあなたの手のちょっと先に
助けてくれる手がさしのべられていることを、忘れないで下さい。
年をとると、人は自分にふたつの手があることに気づきます。
ひとつの手は、自分自身を助けるため、
もうひとつの手は他者を助けるために。
(オードリーが息子たちに読み聞かせた部分の訳文は以上ですが、
 詩はさらに続いているので、その部分の訳文も掲載します。)
女性の美しさは 身にまとう服にあるのではなく、
その容姿でもなく、髪を梳くしぐさにあるのでもありません。
女性の美しさは、その人の瞳の奥にあるはずです。
そこは心の入り口であり、愛情のやどる場所でもあるからです。
女性の美しさは、顔のほくろなどに影響されるものではなく、
その本当の美しさは その人の精神に反映されるものなのです。
それは心のこもった思いやりの気持ちであり、時として見せる情熱であり、
その美しさは、年を追うごとに磨かれていくものなのです。
サム・レヴィンソン
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以下、英語の原文です。
“Time Tested Beauty Tips”
For attractive lips, speak words of kindness.
For lovely eyes, seek out the good in people.
For a slim figure, share your food with the hungry.
For beautiful hair, let a child run his fingers through it once a day.
For poise, walk with the knowledge you’ll never walk alone …
People, even more than things,
have to be restored, renewed, revived,
reclaimed and redeemed and redeemed …
Never throw out anybody.
Remember, if you ever need a helping hand,
you’ll find one at the end of your arm.
As you grow older you will discover that you have two hands.
One for helping yourself, the other for helping others.
The beauty of a woman is not in the clothes she wears,
the figure that she carries, or the way she combs her hair.
The beauty of a woman must be seen from in her eyes,
because that is the doorway to her heart,
the place where love resides.
The beauty of a woman is not in a facial mole,
but true beauty in a woman is reflected in her soul.
It is the caring that she lovingly gives,
the passion that she shows,
and the beauty of a woman with passing years only grows!
Sam Levinson




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