芥川也寸志先生


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今日は日本を代表する作曲家の一人である芥川也寸志先生の87回目の誕生日です。芥川先生と言えば、N響アワーのパーソナリティ(1984年~1988年)として親しみを持たれている方も多いかも知れません。

プロフィール

クラシカ・ジャパンより引用

芥川也寸志(作曲家)1925-1989
1925年、文豪芥川龍之介の息子として生まれる。作曲を志し東京音楽学校(現:東京藝術大学)を卒業後、作曲家として本格的に活動を開始。正統派作品から映画、CM、校歌までその分野は多岐にわたる。 70年代から黒柳徹子と司会を務めた「音楽の広場」や80年より始まった「N響アワー」などテレビでも活躍。ダンディな容貌とソフトで快濶な語り口に男女問わずお茶の間の人気者となった。またアマチュアの育成や後進指導にも熱心で戦後日本の音楽界へ大きく貢献した。
黛敏郎、團伊玖磨らと並んで戦後日本を代表する作曲家である。
主な作品:「交響三章」「交響管弦楽のための音楽」
歌劇「暗い鏡(ヒロシマのオルフェ)」
合唱曲「うたの旅Ⅰ~Ⅲ」
映画「八甲田山」「砂の器」「八つ墓村」
テレビ「赤穂浪士」ほか多数

芥川也寸志メモリアル オーケストラ・ニッポニカ


[オーケストラ・ニッポニカ(指揮:本名徹次)]

芥川先生は「音楽はみんなのもの」という精神のもと、アマチュアの指導にも大変熱心に取り組まれました。中でも1956年に発足した新交響楽団とは、大変意欲的な活動を続けられました。
その新交響楽団で芥川先生の薫陶を受けたメンバーが中心になって、2002年に生まれたのが「芥川也寸志メモリアル オーケストラ・ニッポニカ」です。

オーケストラ・ニッポニカは芥川先生が也寸志が提唱していた「日本人の作曲した交響作品を蘇らせる」ことを活動の主軸にしています。私は初代監督を務められた本名徹治氏のアシスタントとして、このオーケストラと数年に渡ってご縁をいただきました。そして恥ずかしながらその中で初めて日本人作曲家の作品の素晴らしさを知りました。

日本人の作品は過去も現在も必ずしも恵まれた環境にあるわけではありません。特にニッポニカが中心的に取り上げてきた昭和の初期から第2次世界大戦までの時代は、激動の社会の中で作曲家達はまさに命がけで作品を生み出しました。しかし、残念ながらその多くはいまだに埋もれたままになっています。

ですから、ニッポニカがそうした邦人作品に光を当て「蘇演」することは本当に意義深いことですし、音楽を演奏する者として自国の作曲家の作品を愛することは至極当然のことだと思います。

芥川也寸志先生の名言

「静寂は人の心に安らぎを与え、美しさを感じさせる。音楽はまずこの静寂を美しいと認める所から出発する…作曲家は自分の書いた旋律が気に入らない時、直ちにそれを消し去ってしまう。書いた音を消し去るのは、再び静寂に戻ることであり、静寂の方が美しいことを自ら認めているからである」

音楽は静寂を美しいと認める所から始まる。そして、静寂より美しい音楽が残る…
深い言葉です。

[今日の動画]
Valery Gergiev / NHKso / Yasushi Akutagawa – “Triptyque” for string orchestra

芥川也寸志 – 弦楽のための三楽章 トリプティーク (1953)

指揮 – ヴァレリー・ゲルギエフ

NHK交響楽団

録音:2009年



永野数学塾-東大卒講師の個別指導-神奈川県大和市中央林間

 

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