1054年の超新星爆発


これは「かに星雲」の写真です(ハッブル宇宙望遠鏡提供)。
かに星雲は、おうし座にある超新星爆発の残骸で、地球からの距離は約7000光年。現在も膨張を続けています。

「超新星爆発」とは太陽の8倍以上の重さを持つ恒星が、自らが持つすべての燃料を燃やし尽くしてしまった後に、自分自身の重力を支えきれなくなって起こす爆発です(詳しくは⇒星の一生)。星の最期の姿を「超新星」というのは、この爆発によって宇宙に散らばったガスやチリが次の世代の星の「原料」になるからです。

おうし座の超新星爆発(別名:かに超新星)が初めて地球で確認できたのは、西暦1054年の今日(7月4日)でした。今から約960年前の夜空に突然現れて、金星と同じくらいの明るい「星」として見えたそうです。しかもその後23日間にもわたり昼間でも肉眼で見ることができ、夜間は2年間も見えていたそうです。(注:「宵の明星」、「暁の明星」である金星は-4.3等級で夜空で最も明るい星です)

いや~これには驚いたでしょうね~。当時は現代よりもはるかに夜空の星に存在感があったはずですし、それなのに天文の知識は乏しかったわけですから。

そもそも、960年も前に出現した超新星の日付がなぜこんなに正確に分かっているのでしょうか?それは、中国と日本にそれを示す文献が残っているからです。

1つは、中国の「天文史(宋史)」「客星(突然現れた明るい星)が1054年の7月4日に現れ、1056年の4月5日に消えた」との記述があります。

そしてもう1つは、日本の藤原定家が書いた「明月記」

明月記

[画像:藤原定家の著作と平安朝古典籍の書写校勘に関する総合データベースより]
藤原定家
が生まれたのは1162年なので、定家自身はこのかに超新星を見たわけではありません。ただ、当時は陰陽道が人々の生活を支配しており、陰陽道では客星(超新星爆発や彗星など)や日食、月食などの「天変」が起きた年には不吉なことが起きるとされていたため、定家は過去に「天変」が起きた時、実際にはどのような不吉なことが起きたかを記録したのでした(結果、客星が出現した年に何事もなかったのは1例だけだったとの記述があります)。

定家が超新星の記録を残したのは、天文学的な興味を持っていたわけではなく、陰陽道にもとづいて天変を恐れていたためでしたが、動機はどうあれ、日本の書物が世界にも稀に見る超新星の記録になったことはちょっと誇らしい気分になります。

ちなみに「明月記」は応仁の乱などの戦乱時にも子孫によって守られ、現代に伝わり、2000年に国宝に指定されました。

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