バック・トゥ・ザ・フューチャー記念日


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バック・トゥ・ザ・フューチャー 

1985年の今日、映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー」がアメリカで劇場公開されました。…ということで、今日は(勝手に名づけますが)バック・トゥ・ザ・フューチャー記念日\(^o^)/

私は(も)とにかくこの映画が大好きで、1~3までのDVDを何度も見返しています。それでも全然飽きることがない、本当に魅力的な映画だと思います。ストーリーのアイディアは奇抜なのに、語り口のうまさで観客を引き込んでしまうところは、さすがゼメキス&スピルバーグです。こだわり抜かれている細部の描写も唸らざるを得ません。しかし!何と言ってもこの映画の魅力は師弟愛、家族愛、恋愛、友情…と”愛”が全編を貫いているところでしょう♪主題歌も“The Power of Love”ですし(^_-)-☆

《豆情報その1》

当初のクライマックスは核実験場に行き、核爆発を利用してタイムスリップをする予定だったそうですが、100万ドルの撮影費用が必要と試算され、予算の都合から断念せざるを得なくなりました。結果として有名なあのシーンになり、脚本を担当したボブ・ゲイルは後に「予算がなかったおかげで格段に良くなった」と語っています。

《豆情報その2》

当時のアメリカの大統領のロナルド・レーガンは1986年年頭の演説で、パート1のドクのラストのセリフを引用して次のように述べています。

「さて、今夜、私はアメリカのより若い世代の皆さんに率直に申し上げたい。なぜなら、あなたがたこそ我々の合衆国の将来を担っているからです。(中略)映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー』で述べられているように、我々がこれから行こうとする場所には、道など必要ないのです。 (“Where we’re going, we don’t need roads.”)

作中では1955年のドクに出会ったマーティが、1985年のアメリカ合衆国大統領はロナルド・レーガンだと言ったのを、ドクが「俳優の? じゃあ副大統領はジェリー・ルイスで、ファーストレディはジェーン・ワイマンか?」などと馬鹿にして信じない場面があり、レーガン批判だという人もいましたが、当のレーガンはこの場面をとても気に入り、この場面を巻き戻させたそうです。

パート2の未来はどれくらい実現してる?

先日、今年(2012年)がパート2の未来だとする画像が流れましたが、あれは偽画像でした。⇒バック・トゥ・ザ・フューチャーの偽画像、ネット民を釣りまくる

本当は2015年で今から3年後です。
このblogが面白かったです⇒エビログ “バックトゥザ実現?”

「1989年(公開時)に、ぼくらが夢見た未来は、どのくらい実現してるのか」を見てみると… 曰く

電子マネー・・・○

指紋認証技術・・・○

多チャンネル番組・・・○

天気予報の正確さ・・・○

金属サングラス・・・○

ボイスコントロール・・・○

人物を追うスコープ・・・○

若返りクリニック・・・△

サイズ自動調整ジャケット・・・×

空飛ぶ車・・・×

ホバーボード・・・× 全自動家庭菜園・・・×

ジョーズ19・・・× など

ちなみに、ドラえもんの誕生日は100年後(2112年9月3日)。 

「現代の」ドクとマーティの再会写真

こんな画像と出会いました。⇒バックトゥザフューチャー、「現代の」ドクとマーティの再会写真が感動的

なんだかジーンとする写真です…(;_:)

マイケル・J・フォックス(wikipediaを元に作成)

TVドラマシリーズ『ファミリータイズ』のヒットにより一躍全米スターになり、『バック・トゥ・ザ・フューチャー』で主人公マーティーを演じてハリウッドのトップスターとなる。

その後も『摩天楼はバラ色に』などのコメディー映画に出演するなどコメディーセンスに定評があり、エミー賞コメディー部門主演男優賞では『ファミリータイズ』で3回(3年連続)と『スピン・シティ』で1回、計4回の受賞歴がある。

しかし、30歳の若さでパーキンソン病を発症する。1990年頃から発症の兆候が見られ、病を隠しながらも、自らプロデュースに参加し主演もつとめたTVドラマシリーズ『スピン・シティ』などに出演を続けるが、1998年に病気を公表、2000年には『スピン・シティ』を降板し俳優活動から退いた。

その後パーキンソン病の研究助成活動を始め「マイケル・J・フォックス パーキンソン病リサーチ財団」を設立。しばらく公の場所には姿を見せなかったが、2004年にTVドラマ『Scrubs』へのゲスト出演でTV復帰。その後は2006年のアメリカ中間選挙、2010年のバンクーバーオリンピックなどで姿を見せている。

クリストファー・ロイドwikipediaを元に作成)

最初はブロードウェイで、ミュージカルや戯曲に出演してキャリアを積んでいく。最初にメジャー・スクリーンに登場したのはジャック・ニコルソン主演の『カッコーの巣の上で』。その後も着々とキャリアを重ねて、”ドク”ことエメット・ブラウン博士を演じた『バック・トゥ・ザ・フューチャー』の大ヒットで日本を含め、世界的に有名になった。90年代初期に出演したバリー・ソネンフェルド監督の『アダムス・ファミリー』シリーズのフェスター・アダムス役も当たり役となり、ゴメズ・アダムスの奇怪で不気味な風貌の兄をユーモラスに演じた。

私生活では2008年に発生した山火事の延焼により、自宅が全焼してしまう被害を受けた。1959年に最初の結婚をするが、1971年に離婚。その後も結婚と離婚を2度繰り返し、1992年に現在の妻と再婚している。非常にシャイで公の場にはめったに姿を見せず、またインタビューなども一切受けない俳優として知られる。

本日の動画

Back To The Future Part1: The Power Of Love


永野数学塾-東大卒講師の個別指導-神奈川県大和市中央林間

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