「何が分からないか」が分かることの大切さ


できなかった生徒さんができるようになっていく過程で必ず通る段階があります。
それは質問をするようになるという段階です。ぼんやりと「なんとなくわからない…」という状態から「ここがわからない!」と分からない部分にピントが合うようになり、それを言葉にできるようになれば、成績アップはもうすぐそこです。

たとえば料理。
あるレストランでとても美味しい料理を食べたとします。そして、同じ料理を家庭で再現したいと思うとします。しかし、料理をしたことがない人、レシピがないと料理が作れない人にとっては、何をどうしたらいいか、皆目見当がつかないのではないでしょうか。しかし、料理が得意な人、ある調味料を入れたらどのように味が変化するかがわかっている人にとっては、レストランの味に似せることはそんなに難しいことではないだろうと思います。そしてそういう人は言います。

「あの甘さが出ないんだよな~」
と。そんな時は、きっとあと1つや2つの調味料・手間がわからないだけでしょう。でも、もしかしたらそれは一般家庭では、手に入らない食材や実現不可能な料理法かもしれません。ここで大事なのは完全なるコピーに失敗したということではなく、料理をした本人が、あの甘さが出ない、と自分がわからない(できない)ことを明確に理解できているということです。料理がわかっているからこそ、確かな舌を持っているからこそ自分の作った料理について具体的に何が足りないか、何がわからないかを言葉にすることができるのです。

数学の勉強においてもこれはまったく同じことが言えます。

私の塾に来てまだ日の浅い生徒さんと私の間でしょっちゅう繰り返される会話は次の通りです。

「学校でどこまでいった?」

「(教科書を開きながら)ここまでです」

「そう。で、学校の授業でわからない所あった?」

「…よくわからなかったです」(うかない顔)

「そっかあ。じゃあ、(教科書の冒頭を指しながら)ここわかる?」

「わかります」(まだうかない顔)

「じゃあ、ここは?」

「わかります」(まだうかない顔)

「じゃあ、ここは?」

「……わかりません」(考えこむような顔)

「あ、じゃあ、ここがわからないんだね!」

「はい!」(初めて笑顔)

特徴的なのは、本人がわからない所を具体的に指摘してあげると、内容を説明する前から生徒さんの表情が明るくなることです。逆説的な表現かもしれませんが、何が分からないかが分かることは、それだけ対象を理解していることを意味します。

私が大学に入ってすぐのころ、講義に出るたびに

「◯◯についてはよくわかっていません」

「◯◯については今後の研究の成果が待たれます」

というフレーズを頻繁に聞きました

「なんだ、ほとんどのことがわかっていないんじゃないか」

と思ったのをよく覚えています(そしてそれはその通りでした)。

後になって学んだことですが、論文にはサーベイ(survey)論文と呼ばれる論文があって、それはある研究分野の動向を著者の観点で整理・評価した論文です。つまり、その研究についてどこまで研究が進んでいるか、逆に言えば、どこから先がわかっていないかをわかりやすい形でまとめることは立派な論文になります。「論文」と聞いて、ついつい「世間をあっと驚かせるような新発見をしなくてはっ!」と力んでいた私には、少なからず驚きでした。しかし、何が分からないかが分からなければ、真実の隣に行くことはできないのです。

もし、勉強をしていて
「分からないなあ~」
という気分になったらそこで投げ出さずに、
「どこが分からないんだろう?」
と分からない所を探す努力をしてみましょう。それが教科書であれ、参考書であれ、読者に理解させることを目的に書かれた本ですから、1行目の1文字目から分からない、ということは有り得ないと思います。
「この行まではわかるけれど、次のこの行が分からない」
と、分析出来ればしめたものです。
あなたはもう、本当の理解の入口に立っています。

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