佐渡裕さん


Photo by Yuji Hori

今日は私が「師」と仰ぐ指揮者の佐渡裕さんの誕生日です\(^o^)/
佐渡さんはタングルウッド音楽祭への参加をきっかけにレナード・バーンスタインの弟子になり、ブザンソン指揮者コンクールに優勝。その後はヨーロッパを中心に国際的に活躍されている日本を代表する指揮者です。昨年は日本人として近年では小澤征爾さん以来ベルリン・フィルの指揮台に立ち、センセーショナルな成功をおさめられました。多忙を極めるなか、2008年より「題名のない音楽会」の司会として毎週お茶の間にも登場。師のバーンスタイン同様、音楽の魅力を広く伝えることに尽力されています。
私は高校生の時からバーンスタインが最も好きな指揮者だったので、彼の最後の愛弟子になられた佐渡さんには強い憧れを抱いていました。そんな佐渡さんにお目にかかることができたのは、やはり敬愛する指揮者の本名徹次さんと一緒にヨーローッパを旅行させてもらった際に、本名さんのご紹介でパリでお食事をご一緒させていただいた時でした。
それだけでも十分幸せでしたが、幸運にも佐渡さんとのご縁はさらに続きました。

それから約1年後、演出家の宮本亜門さんの紹介で、音楽スタッフとして参加させてもらったプロダクション(バーンスタイン作曲「キャンディード)の指揮者が佐渡さんだったのです!
私は、音楽スタッフでしたが副指揮ではなかったので(このあたり少々ややこしいです…)、本来は稽古を指揮する立場にはなかったのですが、副指揮の人が来られない時は便宜上、稽古を振らせてもらっていました。何回目かのそんな稽古の時に、佐渡さんがたまたまその様子をご覧になっていたことがあって、その稽古の後に
「これからはお前が稽古を振れよ」
と言ってもらいました。とても光栄で嬉しい言葉でしたが、実はその頃の私は大学院を中退することは決めていたものの、まだ指揮者になることを決心しきれてはおらず、将来をどうしようか悩んでいる最中でもありました。
恥ずかしながら、そんな気持のまま稽古は進み、舞台は本番に入りました。私は音楽スタッフとしてマエストロを舞台袖までお連れして、インカムからの舞台監督の指示を受けて入場のキューを出す係を務めていたので、開演前の数分間は佐渡さんと二人きりの時間がありました。おそらく佐渡さんは、私が将来について悩んでいることを察して下さっていたのでしょう、二日目か三日目の本番直前のその時間に
「永野、指揮者やれよ。
 お前ならやっていけると思うし俺ができることは何でもバックアップするから。」

と言っていただきました。私は憧れの佐渡さんにそんな風に言っていただいて天にも昇る気持になりました。その瞬間に、モヤモヤした気持がすーっと消えていく感じがしたのをよく覚えています。
その後、やはり音楽を勉強するなら、佐渡さんも留学されていたウィーンがいいだろう、ということでウィーン国立音大の門を叩き、佐渡さんの推薦で野村国際文化財団の奨学金もいただきました。
帰国後も佐渡さんが兵庫県立芸術文化センターの芸術監督として年に2回上演されるオペラ公演には副指揮者として必ず呼んでいただきましたし、その他の公演でもアシスタントを務めさせていただいて素晴らしい経験を沢山積ませていただきました。

Photo by Jun Yoshimura

また、佐渡さんが日本にいらっしゃる時は、個人的な悩み相談に乗っていただいたことも一度や二度ではありません。佐渡さんはとにかく多忙を極めていらっしゃる方ですが、私がどうにもならない悩みを抱えて佐渡さんのもとを訪ねると、必ず人払いをして、二人きりの時間を作って下さいました。佐渡さんは日本人離れをした大きな体躯をされていますが、それよりもなお大きな心と懐をお持ちの方だといつも思います。
指揮者として仕事をしていく中で自信を失うことはしょっちゅうあります。でもそのたびに、前述の言葉に私は助けられました。というより、今でも指揮者としてオーケストラや歌い手さんの前に立つ時には、佐渡さんにいただいた言葉が心の支えになっています。
生活のこと、家族のことなど諸々ありまして、今は数学塾の方に生活の基盤を置いていますが、佐渡さんと深くお付き合いさせていただいた約10年の間に、指揮者としてはもちろん、人としても学んだことは計り知れません。すべては私のかけがえのない財産になっています。
あなたの「師」は誰ですか?
と問われたら、私は畏れながらも図々しく、
佐渡さんのお名前を挙げさせていただきます。
マエストロ、お誕生日おめでとうございます。
昨年(2011年)の一万人の第九

昨年(2011年)のベルリン・フィルデビュー

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